文学と占いは相通じるものがある

小説家になることを諦めた男のつぶやきです。

ca-pub-9247012416315181

クジラの彼 読後感

有川浩
クジラの彼を読んだ。
短編集で6話載っている。
クジラの彼はその一作目
実は読むのは二度目。

有川浩を初めて読んだ作品がこれだ。
今回は二度目。

私は基本、本を二度読むことなどしない。
歴史小説は(好き)だから何度も、それこそ何十回も
読み返すが文学書、ハウツーものは一度で十分だ。
勿論読み返す本もある。
素敵と思う本は、やはり読み返してしまう。

で、クジラの彼。
まさしくべたべたの恋愛小説。
美男子な潜水艦乗りと、女の子の恋愛小説。
ホント、べたべた
でも、心にしみるんだよな。
何なんだ、この作者
物書きを目指す私を何度も奈落の底に突き落とす
無理だ無理、お前と私の才能は月とすっぽん

素人作家に作品書かすのやめさせたいのなら
彼女の作品読ませればいい・・そんな気分にさせるのに
でも読んでしまう。

しかも二度も。

溜息だよな。
もう
溜息しかでませんよ、実際。

でもさあ
心洗われるよな実際。
えーーい、次の作品も読んじゃえ

何色だい?

くれてやる コノイノチ

どうとでも コノイノチ

好きにしろ コノイノチ

 

だから コノイノチ

だから コノイノチ

だから コノイノチ

 

ひとつだけ 聞いてくれ

 

真心  コノイノチ

まごころ コノイノチ

マゴコロ この命

 

君のマゴコロ

 

何色だい?

荒川洋治の文学観

大衆小説をよろこんで読むのは、純文学の文章の深い楽しみを知らないからだろう、とぼくはいとも単純に考えている。ほんものの文章の味を知らないので、話題性やストーリーだけに、たのしみを見るのだ。かわいそうに、とぼくは思う。いまはとても、こんなことは言えない。言ったら、ばかにされるだけだろう。
 大衆文学への人々見方は「進化」した。変わったのだ。

「本を読む前に」荒川洋治著より抜粋

 

荒川 洋治(あらかわ ようじ、1949年4月18日 - )は、日本の現代詩作家、随筆家である。愛知淑徳大学教授。本名の読みはひろはる。

 

ある講演会で彼が述べた講演を要約した話が載っていた。

--------------------------------

先生は、早稲田大学で教鞭をとられていますが、学生の95%は新聞を読まないとのことでした。また、教科書から詩が消えつつあることを嘆かれ、今の時代は、自分がとても大事で他人のことには興味がなく、「本」は他人が書いたものだから興味がもてないのだ、と話されていました。
今回の講演会の中で本のリストを配布され、そのリストのポイントは、詩や俳句・短歌も入れてあること。文学部を出た生徒は就職に不利な時代であるが、「文学は実学である」ともおっしゃられていました。すぐにわかる言葉だけを受け付けるのではなく、言葉の奥にあるものを見ようとすること、想像力を掻き立てる詩や俳句・短歌を大事にすること。また、働く現場や日本の歴史を描いた作品、こういったものを読み、考えることで実生活で役に立つ人間になれると力強く話されていました。
最後に、「これまで文学にはいっぱいいいものがあるのに、私たちは味わい尽くしていない」という言葉で締めくくられました。

------------------------------------------------------


いいことを仰る
文学に対する造詣が半端ない。
私ごときがとやかく言う事ではないのだが・・・

「今の時代は、自分がとても大事で他人のことには興味がなく、「本」は他人が書いたものだから興味がもてないのだ」

果たしてそうだろうか。
他人に興味のある人々の比率は私は昔も今もさほど変わらないと思っている。
優れた若者は私の周りにも沢山いる。
どうしようもない、ジジババもそれこそ沢山みかける。

人間の本質はなんら変わっていない。
思う側の偏見だと思う。

他人が書いたものだから興味が持てない、、などと認識していればそれはあまりに上から目線の言葉だと思う。
読まなくなったのを読者のせいにしちゃいけないと思う。

価値観多様な時代で「本を読む」ための時間を割いていいと思える本を書けなくなった、作家側にも責任の一端はないのか真摯に反省しないと、この先本はどんどんすたれていく。

 

今や作家もいい作品を書いているだけで、それでよしという時代ではなくなってきた。

勿論出版界全体の話ではあるのだが・・・

 

読書の醍醐味を知ってるだけに、私はそれが悲しい

すたれてほしくはないのだ 本を読む素敵な快楽の世界を

水仙

すいせん
花言葉 「うぬぼれ」
青年ナルシスは美しい。
その美貌は数多の女を引き付けた。
黙っていても女の方からナルシスに言い寄る

飽きた
つまらない
女はもういい
当然だ、俺が女に好かれるのは

ナルシスはいつしか溺れて行った。
己の美貌に、己自身も
それが結局己自身を愛すことができなくなる予兆とも知らず。

いつしかナルシスは多くの女性に愛されても
自分を愛すことができない男になっていた。

森の妖精エコーがナルシスに恋をした。
しかしナルシスは当たり前ように彼女に冷たくした。
それでも盲目に愛したエコーがナルシスのことばかり考えていて、
自分の役目を果たさなくなったので、とうとう女神ヘラの怒りをかった。

エコーは女神ヘラの呪いで、人の言葉の最後の部分しか話せなくなってしまった。
エコー、日本では「こだま」呼ばれている。

これを見ていた女神ネメシスが怒った。
エコーや他の女性を悲しませたナルシスこそが悪いと。

ネメシスはナルシスに呪いをかけた。
人を愛せないのなら自分を愛し続ければいいと


ナルシスは自分に恋する苦しみのあまりにやせ細り
とうとうスイセンの花になってしまった。

この物語から「うぬぼれ」の花言葉が生まれました。

水仙

花言葉は  「うぬぼれ」「自己愛」

水仙の花がゆらぐ山岳で大声で愛を叫べば
エコーがより響き、その愛は成就すると言われています

塩の街 読みました

塩の街

有川浩のデビュー作。
やっと読み終えました。

私嫉妬心が強すぎるのか大賞とった作家さんの本
殆ど読みません

同じ書き手としてやはり本能レベルで悔しいんでしょうね。

 

ケツノ穴の小さな人間なんです。

時が経ち、嫉妬心が治まると、やっと読めるようになるんです

 有川浩さんの作品もやっと読む気になったのですが

 

この作品は電撃ゲーム大賞受賞作品です。
なんだライトノベルかと思っちゃいけません

 

ライトノベル作家としてのデビューですが作品は中々どうして
純文学作品として出してもなんら遜色のない作品です。

本人曰く、大人のライトノベル作品があってもいいじゃないかと
そんな感覚で描いている作品ですから、そりゃレベル高いですよ

元々読書層を大人においてるんですから。

 

で、、この本

ある日塩の結晶がどこからか飛来し、人が塩になってしまう
そんな作品なんですが、実はこの作品
べたべたの恋愛小説なんです

泣かないことで有名な私が不覚にもこの本を読んで何度
うるうるしたことか・・・

 

人が塩になるのどうのこうのなど、実は何の関係もないのです
ただ背景を究極の状態に置きたかっただけ、作者の意図は
究極の恋愛論。

 

べたべたの恋愛論が、小説の底辺に、BGMのように流れ
読者を縛り付け、物語から離しません
そして突きつけてきます
甘っちょろい正義論 恋愛論を、直接的でなく粉雪のように
ふんわりと、それでいて気が付けば強烈なメッセージとして

 

鼻につき、嫌味に思え、とても読めるものじゃありません。
同じ話を並みの作家が書けば

それがこの有川浩の手にかかると、まるで魔法の粉を振りかけたように
心にずしん、ずしん、と、強烈に、鋼のように何度も何度も
揺り戻し、突き刺さり、心に響くんです。

 

とにかく騙されたと思って読んで見て下さい
心洗われるはずです

特に最近心が薄汚れてきたと自覚症状ある大人には

特効薬にもなるはずです

純真な心って、なんだったかと

 

超、超、度超おすすめの作品です