文学と占いは相通じるものがある

小説家になることを諦めた男のつぶやきです。

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予告された殺人の記録 を読んで

ガルシアマルケスをご存じだろうか。
若い女性なら、ああん、あれねと目を輝かすだ
ろうが、残念ながらブランド名のガルシアマル
ケスではない。

ラテンアメリカノーベル文学賞受賞作家の
ガルシアマルケス・・
そう言ってもピンとこない
有名な『百年の孤独』がさ・・・」と言うと、
多少文学に興味のある人なら思い出すかもしれ
ない。

ラテンアメリカ文学、日本ではまだまだ馴染み
がない。

しかし、こう言ってみればどうだろうか。

かの有名な村上春樹が無意識にでも、意識的にで
も色濃く影響された文学と。
マジックリアリズム〉あるいは〈魔術的リアリ
ズム〉という技法を使った、文学。
当然日本で言う、ファンタジーとは一線を画する。

これこそ、村上作品そのものです。

そのガルシアマルケスが書いた物語。
「予告された殺人の記録」を読んでみた。

なるほど、ラテンアメリカ文学は、面白い。
ただ、日本でいうところの面白いとは少しニュ
アンスが違うが。

「予告された殺人の記録」も、普通の読み方をし
ていれば、あらゆる仕込まれたトリックに気づか
ず、さらっと読み終わってしまう。
結局なんだこの作品、ノーベル文学賞作家もこの
程度か・・と思ってしまうかもしれない。

しかし紳士淑女諸君。
マジックリアリズムの伏線はいたるところにちり
ばめられているのです。

たとえば一文。

「ある朝、女中がカバーを外そうとして枕を振っ
たところ、中にあったピストルが床に落ちて暴発
した。飛び出した弾は部屋の洋服箪笥をぶち壊し、
居間の壁を突き抜けると、戦争を想わせるような
音を立てて隣家の台所を通過してゆき、広場の反
対側の端にある教会の、主祭壇に飾られていた等
身大の聖人像を、石膏の粉にしてしまった。サン
ティアゴ・ナサールは、当時まだほんの子供だっ
たが、その災難から学んだ教訓を、それ以来決し
て忘れなかった」

おわかりだろうか。

あり得るような話で、そのままスラっと読み流し
てしまうが、おいおいそんな弾どこにあるんだ、
と思わず突っ込みたくなりますよね。
いわゆる隠し絵的手法とでも言えばいいんでしょ
うか、文学の中で、ある種の遊びを取り入れ、そ
の遊びを取り入れる事により、本題のあり得なさ
にリアリティーを持たせてしまうのです。

この文面にマルケスは何を言わとしたのでしょう
か。

この隠し絵的な面白さ、勿論これだけではありま
せんが、通常の文学作品とは趣の違った方向性が
あり、これにはまると、ラテンアメリカ文学の虜
になると・・そんな代物なんですが。

そうそう、作品には関係ありませんがマルケス
FBIが24年間も監視していた」というニュースが
数年前、米紙「ワシントン・ポスト」が報じてい
ましたが、本当なんでしょうかね。

で、本に戻りますが。

自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、
司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に
起きた。

書き出しはこれで始まる。
つまりサンティアゴ・ナサールが殺されることは
わかっている。それは読者だけでなく、作中の誰
もが知っているが、知らないのは殺される本人だ
け。

この出だしからして、人を食っている。
しかし紛れもない純粋な文学作品だ。
綿密に構成され、セリフも、登場人物のあれもれも
一つ一つのピースを熟考に熟考を重ね配置されてい
る。
時折「現実ではありえない話を、さもあるように、
さらりと記述し読者を欺くユーモラスを練り上げ、
(もっともこのユーモアは読み手を選びはするが)
とにかく、何の変哲もない、一読すれば普通の小
説の態をようするが、実は宝物が埋め込まれてい
る。

そんな宝物を見つけ、一人ほくそ笑み、マルケス
と喜びを共有する。
ラテンアメリカ人らしい発想ではないか。
何を発現するにせよ、その中にはユーモアを(時
には幻影、魔術になるが)ちりばめ、読者の今あ
る知識層だれにも共有できるように取り繕う精神。

噛めば噛むほど味の出てくる作品。
読み手の感性により思惟の花火の大きさが違う作品

味わってみてはいかがだろうか。

マジックリアリズムの神髄を。