文学と占いは相通じるものがある

小説家になることを諦めた男のつぶやきです。

ca-pub-9247012416315181

受け月 伊集院静著  感想です

名前がいいですよね 伊集院静なんて。
思わず色んな事妄想しちゃいますもんね。
名前だけで。

勿論ペンネーム。
作詞家としての筆名は伊達 歩(だて あゆみ)
やはり伊集院静の方がいいよな。
本名は西山 忠来(にしやま ただき)
韓国籍で、日本に帰化前の氏名は、
チョ・チュンレ

どちらにしても、伊集院静
ホントいいペンネームです。

で・・・
私、唐突ですが夏目雅子さんが大好きでした。
底抜けに明るくまばゆい瞳。まさに青春その
もの、はち切れんばかりの若さオーラをかも
しだしていました。

その夏目雅子さんが愛した男、それが伊集院静
なのです。しかも不倫、略奪愛までして。

だから、私は伊集院静が大嫌いです。
彼の小説は生涯読むまいと心に誓いました。
嫉妬、、ええ、嫉妬です。

人間は嫉妬により大きく成長するとどこぞの哲
学者が吠えていましたが、私は残念なことに、
こじんまりとまとまり、世間に同化し生きてい
ます。
そんなことは、いいのですが、私は嫉妬の権化
となり、伊集院静を嫌いました。伊集院と名の
つくもの、あのタレントの伊集院光さんまで嫌
う有様。

ですから夏目雅子さんが病魔に襲われ、病と闘い
惜しくも夭折した時は、さらに伊集院静を憎みま
した。
お前のせいだ!と。
勿論濡れ衣ですが・・・

その伊集院静が再婚しました。
今度は女優の篠ひろ子と。三度目の結婚です。
いよいよ伊集院静が嫌いになりました。
憎むことが私の夏目雅子さんい対する愛の証とばか
りに。

話はガラリ変わり・・・

会社の女子会で財布係として強制連行された私は
両手ならぬハーレム状態の中で一人寂しく、ウー
ロン茶を飲んでいたらいきなり尋ねられたのです。

「伊集院シズカって良いわよね」と。

社内一の美人の誉高いM女子から。
社内一の美人から、唐突に、良いわよねと尋
ねられ否定できる男がいたら、連れてきてほ
しい。
いるはずがない。
押し並べて、男という生き物は美人には、否、
女の考えには無条件で同意してしまう生物なの
だから。

勿論私も反射的に「うん、良い作家だ」と頷い
てしまった。
夏目雅子の顔を思い浮かべながら
伊集院静だって再婚したじゃないか
俺を恨むなら、まず伊集院静を恨め・・・
など、など。

とにかくその時から、私は伊集院静が好きに
なった。
好きにさせられた。
しかし彼の作品は一作も読んだことが無い。
社内一の美人からいつ聞かれるやもしれない

伊集院静の本、何読んだのかと。
慌てて呼んだのがこの受け月
随分前置きが長くなってしまった。

誓った夏目雅子と、神様には申し訳ないが、男
の信念とは、かくも美人の前では脆いものだと、
諦めてもらい・・・。

受け月は御存じ、伊集院静直木賞を受賞した
作品だ。7作の短編集が集まり一冊の本になっ
ている。

テーマーを野球に絞り、野球に関した短編を
並べている。受け月はその中の最後の一編、
頑固な老監督の引退にまつわる話だ。

受け月とは、「受け月に祈ると皿に水が溜まるよ
うに願いが叶う」という話が有名らしい。

なんともまあ、女性が喜びそうな文言じゃない
ですか。

短編全編に流れるのが男の哀愁。
話に凹凸はなく、ただひたすら人生の無情、男の
頑固さの哀愁を淡々と語っている。
言い方を変えれば退屈。

なるほど、これが伊集院静の世界か。
男のロマン
頑なに守るべき信念、その信念の為には人生
そのものが破滅しても潔しとする
男じゃん。

野球に固執した男達の人生の哀愁を9編にそれ
ぞれ盛り込み、頑なゆえに不器用な男の世界を
しつこくではなく、あまりにあっさり、淡々と
書き綴っている。
そのあっさり感があまりに手際よく、それが
この作家の持ち味かも。

主題が見えにくいのは、人生の一コマを切れ味よく
切り取り、その断片を伊集院静という作家の生き様に
盛り付け、さあ食べろといわんばかりの力技。
そう、力沢なのだ。
力技故に隠し方が時折ちらつく。

裏読みすれば鼻につく。
素直に読めば退屈。
しかし、心に霧がかかっていれば、その霧を晴ら
すのでなく、色を付けてくれる。
そう、伊集院静の作品は、無常という人生の究極
の諦観に、色を付けようとしているのだ。

作家の視点ではない。
プロデューサーの視点だ。

力技を底辺に隠しつつ、あまりに淡々と語るその悲哀
感が、よけいに(ある一部の読者)の感性をくすぐる
のだろう。

なるほど、これでは夏目雅子も、篠ひろ子も惚れる
はずだ。

男のダンディズムを淡々と、強制もせず、ただひたす
ら書き綴る。
俺の背中を見ろ、嫌なら来るな、選ぶのはお前だ
お前が好きにすればいい、俺は俺の人生を、好き勝手
に生きさせてもらう。
俺に近づくな
俺に近づけば・・
タダではすまないぞ・・・


ちくしょう
恰好良すぎる
女が惚れるはずだ
くそーー
超うらやましいじゃん・・

新鮮な退化

長い間使ってない棚の中から、まだ若かりし頃使っていたノートやら

原稿用紙が出てきた。

仕事しながら小説の構想をねっていたのだろう

その後仕事が多忙になりそんな事ができる状態でなくなり

止めて文字通りお蔵入り。

 

驚いたことがある

字が上手いのだ。

最初誰が書いたかわからなかった

今の私ん字とは雲泥の差

とてもうまい

 

そういえばあの頃、書き仕事がメインだったから

毎日毎日字を書いていた。

皆からも上手いと言われていたことも思い出した

それが今はどうだ

殆どがキーボード打ち

自筆で書くことなんかほとんどない

 

スマホとパソコン

まさに書かなくなった

そりゃ字も下手になるはずだ

 

それにしてもうまい

まるでペン字講習に行った人みたいに

読みやすくしかも小さい

 

光陰矢の如し

変われば変わるものだ

今は人様に恥ずかしくて自筆など表にだせない(笑)

 

それと

若かりし頃書いた小説群

これまた、そこそこうまい

今の方が無茶苦茶下手だ。

 

三島由紀夫に傾倒していたせいか

文章の流れが三島調だ

それにしても、自分が書いた作品とは

信じがたい作品群だ

 

読んでて楽しいから笑ってしまう

 

人って・・・

退化するんだ・・・・(汗)

小説家からのアドバイス

作家の辻仁成さんがブログで助言してくれてます。

「小説家になりたい人への三つの助言」

を。

抜粋してみました

(略)

もし、あなたが小説家になりたいのであれば、
たいへん、差し出がましいようですが、三つの
助言があります。

その1
まずは周囲の意見を(これも含め)気にせず、
どんどん書いてください。
小説は誰かに習うものじゃない。読んで学ぶ
ものです。いい本を朝から晩まで読んでいれ
ば文学がわかるようになるし、一日中、人一倍、
書いていればだれでも文章はうまくなります。

小説学校がダメとはいいませんが、型にはまる
恐れあり。あなたにしか書けないテーマはあな
たにしかわからない。
鬼のように書き続け、名のある新人賞に送り続
けてください。自分の腕試しと、編集者探しに
新人賞が最適なだけですが。新人賞をとったら、
編集者にくらいついて、書き続けてください。


その2
信頼できる優秀な編集者を一人つかまえてくだ
さい。
ここからは信頼した編集者の助言に耳を傾けて
ください。その人が「よくない」と指摘した箇
所は悩んででも直してみましょう。我を押し通
すことも大事ですけど、大家が成長しないのは、
編集者の発言を受け付けなくなるからです。
作家以前は周囲に囚われずひたすら書き続け、
作家以降は編集者の助言にちょっと耳を傾け書
き続けましょう。


その3
一冊や二冊は誰でも書けるので、うぬぼれな
いでください。
本当の評価は生きている間には出ないと思って
書いてください。がむしゃらにやみくもに書き
続けてください。
死ぬまで過去作を懐かしがったり、安易に振り
返らないでください。仮に死んでも、次の一行
を書くのだ、と思い続けてください。

以上です。

人生は後始末「小説家になりたい人への三つの助言」
今日の後始末。

「キーボードの文字盤が消えるまで書け」


だそうです。

もう一度言います。
だそうです。

「キーボードの文字盤が消えるまで書け」

この言葉いいですよね。
仕事で使ってるパソコンのキーボードの文字盤
字消えてるもん。
毎日、365日誰かが使ってるパソコンのキーボード


文字盤消えるまで書くなんて

ま、いいか

目標ができて(笑)


ちなみに記事元は ここです。



吾輩は猫であるを・・もう一度しかたなしに読んだ感想

トリストラム・シャンディという小説をご存じだろうか。
18世紀イギリスの小説家ローレンス・スターンが書いた
小説だ。内容は荒唐無稽、奇抜、一貫したストーリは無く
「意識の流れ」の手法を先取りしたと言われている作品だ。

人間の知識は静的な部分の配列によって成り立つものでは
なく、動的なイメージや観念が流れるように連なったもの
であるとする考え方だ。

日本の作家では川端康成が「針と硝子と霧」「水晶幻想」に
おいて実験的に用いているが成功しているとはいいがたい。

実は漱石、ローレンス・スターンに傾倒していたのだ。
先輩や仲間から、小説を書け、書けと勧められ、やむなく
書いたのが吾輩は猫であるなのだが、もともと最初の一編
でやめるつもりだった。
書いた時はうつ状態だったし。

ところが、ローレンスに傾倒していた漱石の作品は最初の
掴み、猫を主人公にするという、多少ローレンスを意識した
作風を冗談のつもりで書けば、これが受けて、挙句書くの
をやめるにやめられなくなったのは御存じのとおり。

うだうだと訳の分からぬことを延々、しつこく語り読者を
煙に巻くローレンス流作風が漱石に合うはずがない。
最初は自分の見解を猫の目を通し、説教調、あるいは講談風
あるいは美文調と、わざと辻褄があわぬよう、合わぬよう
書き上げていくが、根っからの真面目人間、さすがに辛くな
ってきたのだろう、並行して他の作品も手掛けるようになっ
てきた。

漱石の文学を志すという意味で書かれた作品は吾輩は猫である
以降に書いた作品なのだが、どうしても処女作吾輩は猫である
漱石の代表作と言われるのを聞けば、草葉の陰で漱石、苦笑
しているのではないだろうか。

日頃の考えを無茶苦茶適当に書いただけの作品なのにと。

夏目漱石は博学だ。
天才的な頭脳の持ち主と言われる。
記憶力も抜群だと。

その、漱石の根底に流れるのは個人主義
あるいは男女の個人主義

時代はとにもかくにも男尊女卑の時代。
しかし合理主義の漱石には納得がいかない。
納得はいかないが、幼いころより叩き込まれた男尊女卑
の概念はそうたやすく消えるものではない。

男と女の平等とは何か。
本当に平等なのか。
平等でやっていけるのか。
女が絡めば男同士の平等は崩れる。
この摩訶不思議な心理はなんなんだ。

マクロの個人主義、平等主義についての思想については夏目漱
石の右に出るものはいなかっただろう。
その博識は他を圧倒させる知識量だ。
漱石個人主義を論破できるものなどいなかったのだが、唯一
いたのが、皮肉なことに漱石自身。

実生活ではこの個人主義に沈没。
特に恋愛面において。

マクロの個人主義は吠えればいい。
しかしミクロでの個人主義、いわゆる具体的な生活レベルでの
個人主義漱石は表にこそ出さないが心の中で葛藤していた。
現実にそぐわないじゃないか・・
個人主義はミクロに近づけば近づくほど破綻する。
特に女性相手では。

女は魔訶不思議なもの。
男より劣る生き物ではないが、しかしその本体はベールに包
まれ謎だらけ。

漱石の作品は、吾輩は猫であるを除けば、まさに男女間の
平等を題材に、個人主義の底辺に潜む闇をあぶりだそうと
する作品が多い。
平たく書けば三角関係、そして不倫。

漱石自身の女性関係は淡白なものだ。
弟子たち、嫁の証言からも、妻一筋の男だったそうな。

三角関係のドロドロを、漱石は実体験無しに書いていたの
だろうか。否それはない。
若き頃の失恋で、漱石は恋愛に対し、否、女性に対しすっか
り臆病になってしまったのが因とする説もあるが、今回は
吾輩は猫であるの書評、この件は置いておくことにしよう。

さて吾輩は猫であるの書評に戻ろう。
この小説、先にも書いたように、漱石が書こうとしてイメー
ジした小説ではない。
とりあえず、まあ書いてみようかと書いた作品だ。
いわば、少し(おちゃらけ)て書かれている。

面白いことにこの小説、猫に名前を付けていない。
わざわざ最初に、断り書きまでつけて、吾輩は猫である
名前はまだないと・・宣言している。

名前を付けなかった理由については、色々論評されているが
つまるところ、名前を付ければ読み手に猫のイメージがつい
てしまうからと言われている。
吾輩という尊大な表現に続く猫という(畜生)のイメージを
読者自身に感じてもらうためにこの名無し猫は成功したとも
言われている。

私が思うに漱石が猫に名前を付けなかったのは、猫の概念を
個人主義の総体として漠然と意識し、わからなかったからと
思う。
ある種恐怖の総体でもあったのではないのだろうか。
わからない物に対する恐怖。
この総体を猫に押し込め、漱石自身が猫に問いかけているのだ。

何なんだ、この世の中は
何なんだこの不条理は

最後に猫を殺してしまうのも漱石らしい。
書くのが嫌になったから猫を殺したとうそぶいたそうだが
そうではないだろう。
何かが吹っ切れたのではないだろうか。

気ままな猫は自由だ。その自由な猫に窮屈極まりない名前など
そもそもつけること自体おかしい、意識無意識を別にし、漱石
感覚としてそう閃いたのではないだろうか。
もしそうだとすると、一つ頷けることがある。

嫁にも名前がないのだ。
ただ細君としてしかでてこない。
他の登場人物には名をつけているが、猫と細君には名をつけて
いない。

作品中何度も出てくるし、決して脇役ではない。
重要な登場人物だ。
この細君に名をつけなかった理由・・・

案外この辺に夏目漱石の(病んで暗い部分が)推察できるのだが
残念なことにその部分にメスを入れた評論家はまだいない。

漱石は作中の人物の名にはこだわったと聞く。
ならば処女作とはいえ、なぜ細君にだけ名をつけなかったのか
くだらないと思われるかもしれないが、私にはここにこそ夏目漱石
研究課題が残っているのではと・・・まあ

アイスなど食べながら思うのだが。
吾輩は猫である、とにかく読むにしんどい作品だ。


何度も言うが、漱石さん、これ書いた時、読み手に理解できな
い小説こそ素晴らしい作品だと思ってた節がありますから、あ
まり裏の裏を読み過ぎると、漱石さんの罠に落ちる気がするん
ですが。

読むにしんどい作品
これに尽きますよ
吾輩は猫であるは・・・。

ども・・・ども・・・

お久しぶりで

 

やっと戻ってきました。

色んな事

一区切りし

さあ、これから暇になるぞと

思いきや、性格ですかね

湧いてくるように

予定が重複

 

何のための身辺整理か

わからなくなりました(笑)

 

まあ、

なにはさておき

これからもまた

ぼちぼちブログ始めますから

よろしくお願いします