文学と占いは相通じるものがある

小説家になることを諦めた男のつぶやきです。

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白い悪魔

白樺の木が倒れた

真ん中から縦に裂けて

 

その裂け目からぬうと現れた

白き悪魔

悪魔のくせに白だとは

 

鼻の先で笑ってやると

近づいてきて

臭い息を吐いてまくし立てた

白い悪魔がだ

 

白で何が悪い

悪かないさ

しかし、お前今笑ったろうが

ああ笑った

悪くないなら笑う必要ないだろうに

 

殆ど私の顔にくっつかんばかりに

まくしたてる

白き悪魔

 

あまりに臭いので

指先で弾いてやった

 

ふん

白い悪魔なんて所詮そんなもんさ

 

私は背中に隠した羽を広げると

大空に羽ばたいた

 

 

悪魔は黒いんだよ

悪魔は

 

下を見れば、私の抜け殻が

舌を出して阿呆顔で固まっていた

 

だから嫌なんだ

白い悪魔に遭うのなんかは

 

 

いいんだろうか、こんなにハッピーで

最近は仕事より趣味の方に

力が入っているような

そのせいか、仕事で細かなミス連発

それを鼻歌でかわす術まで覚え

我ながら最低(笑)

 

まあ、

文句言われる年でもないので

皆何も言わないけど結構

迷惑かけてるかな(汗)

 

それと会社関係者、以外の人との付き合いが

多くなり、会社関係者との飲み会

しょっちゅう断っている

 

ま、しかたないわな

身体は一つしかないし

財布の中も心細いし

 

でもさあ

 

娘も嫁いで孫もできた。

そろそろ好きな事しても、もう誰も

文句言わないでしょう

貢献しましたよ、ちゃんと社会には

 

fx投資の方も相当負けて勉強させてもらったから

必死に研究し、最近は負け分ほぼ取り戻した感

これからは勉強させてもらった成果を

試すとき

ここ一年は負け知らず(えへん(笑))

 

小説の方も書こうと思えばすぐ書けるし

遊びの方もそこそこ楽しいし

愉快で頼りになる友も

押さえつけて

「おいお前俺の友だろう・・」と聞けば

イヤイヤでも頷く友もどきも沢山いるし

 

いいんだろうか、こんなに平和で

 

文学を目指すものとしては

堕ちないといけないのになあ(苦笑)

 

どこの穴に

堕ちようかな

尊い事

何食べてるんだいお前は

大人の女が子供に聞いた

 

 

ひと?

 

そう 人

 

馬鹿、なんで人なんか食べるんだい

 

だって言ったじゃない

 

人を殺すのはいけないことだけど

 

食べるために殺す行為は尊い行為だと

 

子供はそういうとニタリと笑った

 

手には血にまみれた刃物が握られている

 

これだけじゃ足りないよ

 

もう少し欲しいなあ・・・・

コンビニ人間を読んで

久しぶりに芥川受賞作品を読んだ。

コンビニ人間(村田沙耶香

まあ、短編だ(私にすればだが)(笑)
一気に読んでしまった。
感想はと言えば、複雑。
面白い面白くない基準で最近読む本を選んでいたか
ら久しぶりに芥川賞受賞作読んでみた感想は、やは
り複雑。

昔読んで感じたあの黒い霧の中に腕を突っ込んでい
るざらついた感触がよみがえって来た。
そうそう、この感触・・・・思い出してしまった(笑)

いわゆる、純文学と言われる作品だ。

昔はのめりこんでいたもんな私も。
しかしこーーゆう本は売れない。
悲しいくらいに。
よく売れて五万部
一万行けば御の字の世界だ。

昔から読むより書く方が好きだった。
視点が、読み手から書き手に移ると、不思議と読者の顔が浮かぶ。
イヤ、言い方が綺麗すぎる。
読んでもらうためには(どんな書き方が喜ばれるか)
そんな下卑た気持ちの網を通しての視点。
いわゆる、読者にへつらうってやつだ。

純文学では読者にへつらう姿勢は厳しく断罪される。
商業主義は純文学においては堕落なのだ。

いや断定はよくない。

堕落らしい・・・

 

で、純文学を目指し小説家を目指す人は作家になれない。
何故ならば、これはもう経済原則に準ずる。
読者層が少ないからだ。

読者が少なきゃ、売れない。

売れなきゃ食えない。

当たり前の話だ。

 

純文学は(退屈)だ。
人間の内面をよく切れるナイフではぎおとし、その
断面を鑑賞するから玄人芸に近い。あるいはマニアック
な世界ともいう。

(普通)の世界で楽しさを求める普通の人達には
受けない芸風なのだ。
金にならない商売ともいえる。
純文学作家で、作品のみで食えて行ける作家はまず
いない。
講演やら、諸々、副業をしないと食べていけない。
そんな世界だ。

その(普通)の世界じゃなしに、(普通)でない側に
立った世界を描いたのが、このコンビニ人間だ。

 

私的には意味面白かった。
普通でないことが、どれほど滑稽で、おかしなことか、
この作品は物語っている。

自由を求める人間が、実は普遍と言う束縛を好むことを

作者は知っている。
社会性とは普通である事を示し、束縛以外の何物でもない。

社会性とは実は矛盾の世界なのだ。
そのはざまで生きる、可笑しさ、滑稽さ
その隙間から垣間見える、生きるという事の真実

面白くないはずがない。

 

自由を求める者は悩む。

暗闇の中に手を突っ込み
ごそごそ動かし、自由の真実なるものをつかもうとするが
結局つかめない

当たり前だ、そこには何もないからだ。
玉ねぎの皮をむくように、自由自由と唱えていても
何もないのだから

自由の真実は、果たして文学から求められるのだろうか

そもそも真実なるものが、何の真実なのか
その対象すらつかめていないというのに・・・

ああ、
思い出してしまった
無間地獄の中を彷徨い歩いていた
あの(快感の時を)

自由なる真実追及の旅は
ある意味、超快感の世界なんですよ、皆さん
はじき出された私がいうんですから 
間違いありません

 

しかしその世界は、無間地獄でもあるのです。

うたた寝

ああ
退屈だ
物理的には忙しいのに
何なんだ
この退屈感は

多分
たぶん
いや、絶対
飽きたんだろうな
生きてることに

そう
愛猫に呟いてみても
知らん顔

だよな

私だって
わからないんだから
何故私が
こうして
お前の頭を撫でているのか

見れば

光が一筋
渡しを貫いていた