文学と占いは相通じるものがある

小説家になることを諦めた男のつぶやきです。

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村上龍 五分後の世界 を読んで

村上龍五分後の世界」を読んだ。
読書会の課題本だったからしかたなく。


村上龍の作品は「限りなく透明に近いブルー」以外読んだことがない。
この芥川受賞作の「限りなく透明に近いブルー」が全く心に響かなかった。

なんだ芥川賞ってこんな安っぽいものかと、青臭い作家志望の若者が抱く感想を私も抱いた。いわゆる嫉妬ってやつだ。

 

だから私にとって村上龍はテレビで見る「カンブリア宮殿」の村上龍しか知らない。

作家を諦めて、経済学者にでもなったのかと思っていたら、そうでもないらしい。沢山の本も出版している。でも読んだことが無い。

なによりも文壇の地位が凄い。

今じゃもう、大先生だ。

 

私は、よほど最初に読んだ「限りなく透明に近いブルー」が気に入らなかったのだろう。

 

そうそう「五分後の世界」の感想だった。

 

この小説、敢えてストーリを書く必要もないだろう。
延々と戦闘シーンを書きなぐった、小説だから。

 

一読後、思ったのは、村上龍ってこんなミーハーな小説家だったのかと
思わず鼻白んでしまった。

 

しかし文章は上手い。憎らしいほど上手い。頭に来るぐらい上手い。


芥川賞をとった時みずみずしくはあるが、ねちっこいあの文体。
ねちっこさは変わらない。おかげで思い出してしまった。
私はこの執拗にくどい、文体が嫌いだったのだ。

 

しかしあの頃に比べ、文章の滑らかさはさすがだ。洗練度合いが凄い。
そこいら辺にいる、エンタメ作家に比べれば言霊の上質さは認めなければならない。
文才ある作家が、戦闘シーンを描けば、こうも上手く描けるのかと感心もした。


おそらく全体の八割、否九割近くを戦闘シーンだけで、いわゆる描写だけで
作品を作り上げてしまう技量に、さすがの作家たちも唸ったのだろう。

こうもしつこく、かつうまく、飽きさせない戦闘シーンは書けない。

 

しかし作品自体に啓蒙性はない。何を言わんとしているのかわからない。


民族主義を称賛しているようで、その実否定もする。
どちらかに寄っているフリをして、深読みすれば、中立のスタンスを読者に、特に知的読者に見せつける。
この技法は鼻につくが、中々出来る技ではない。

もう実力は認めざるを得ないのだろう。

 

現にこの作品に対する作家仲間からの酷評はさほどなかったらしい。
嫌われる作家でありながら、酷評を抑えるだけの作品かといえば、そうは思えない。けなそうと思えば粗は見つかるはずなのに、そこそこ評価している。


絶賛まではいかないか、総体的に褒められている。
その高評価の理由が私にはよくわからないのだ。

けなされもしない。。かといって大きく褒めてもいない。

しかし凄い本だと、巷の噂はそう流れている。

 

ひょつとして、忖度されたのかとも思ったが、村上龍がこの作品を書いた時期
まだ忖度されるほど文壇の地位は高くなかったはずだ。

 

とにかく首をひねる。
この作品のどこが面白いのか、私にはわからなかった。
文章は綺麗で、読み易く、適度にねちっこい。しかしボヤンとしている。

 

読書会で面白い話を聞いた。
彼が通っていた学校の同級生の話を知人がまた聞きしたそうだ。

 

村上龍は賢かった。
賢かったが、好かれる男ではなかったらしい。

 

一つのエピソードを教えてくれた。

 

あるテストで、彼は100点満点の答案を書いた。
賢いから、ここまでは当たり前の話だ。
しかし、賢いので、彼はこのテストで遊んだ。

答案用紙の回答を、見えるか見えないかくらいまで消しゴムで消したのだ。
教師も困ったろう。

普通にすれば答えが消えているから0点だ。
しかしよく見れば全問正解の答えがかすかに見える。
だったら100点だ。

嫌味な生徒というしかない。

教師の困り顔を見て薄ら笑っていたそうだ。

 

教師もなれたものだ。
100点にする。


元々賢いのだから、敢えて0点にしたところで意味がない。
村上龍の手のひらで踊らされるだけだ。

 

カンブリア宮殿」を見ていて、なるほどとうなずける。

嫌味な性格は昔のままだ。

 

つまるところ、なんだな。
小説家は性格的にロクな奴がいない。
酷い性格だから、小説家になれるんだ。


だから私は小説家になれないんだ。

とまあ
ひどい三段論法で話を終わらせることになるが

五分後の世界

読んでがっかりはしない小説ではある。

一度は読んでみて、冗談キツイ、と苦笑しながら、じっくり村上龍の本音を探ればいい。

 

一筋縄ではいかない作家のようだ。
それが私の感想です。

 

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