文学と占いは相通じるものがある

小説家になることを諦めた男のつぶやきです。

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読書会 むらさきのスカートの女

大阪文学学校いち生徒のfuura(ふうら)です

大阪文学学校が楽しいものですから ボランティアで宣伝活動をすることにしました(笑)

 

 

大阪文学学校チューター(講師)も参加しての読書会に参加した。

参加者は、ほぼ大阪文学学校の卒業生か現役の生徒

12名での合評会

 

芥川賞受賞作品、しかも結構評判がいい

選考者もそこそこ褒めている

巷の感想もさほど悪く無い

 

私も一読し上手いと思った

エンタメと思わせる軽いタッチでありながら

その実私小説っぽさも残している

 

まさにぎりぎりのラインで攻めていた

この書き方は上手いの一言

中々出来るものではない

計算しつくしたのか、あるいは天性なのか

とにかく構成の妙が光った

 

光りすぎて作為すら感じてしまいそうになったが

果たしてそんな評価も出ていた。

 

驚いたのは12名のうち半数近くが、コケ降ろしに近い評価だったこと

私的にはどんな批評で悪く言うのか、それも聞きたかったのだが

まさか半数がコケ降ろすとは思わなかった

 

参加者は全員作家を目指している強者だ

べた褒めはしまいが、されどけなす要素も見当たらないと思っていたら

まさかのコケ降ろし

いやあ、びっくりした

 

中には今までの受賞作で一番の駄作だと決めつけ、読む気すら失せたという人もいた。

 

どう思うか、批評は自由だし、批評はためにもなる。

その為に読書会に出席しているのだが、この作品、そこまでコケ降ろす作品かと思わずメンバーを見てしまった。

 

けなしの批評を言う人には特徴があった。

純文学を頑なに目指している書き手

お年を結構召されている人たち

そんな方々が、酷評を披露された。

 

手放しでほめた私、黙っていようと思ったがたまらず口走ってしまった。

 

リアリティーなどこの作品に求める見解がそもそも読み方を誤っていると

彼らの受け付けない主な理由は「リアリティーがなさすぎると」と受け取ったからだ

だから

あはは、言っちゃいました

案の定反撃の嵐

そりゃそうでしょう

 

皆私より人生においても、大阪文学学校歴においても

先輩ばかリ

その人達に「あなたがたが考えるリアリティーの基準は古すぎる」といってしまったのだから。

 

この作品に、現実にはあり得ない話とか、筋立てに矛盾があるとか

私にいわせればまったく頓珍漢な批評をしている

作品の意図に似合わない感想を持って、コケ降ろすのは文学的センスの争いだ

 

ここは譲れない

 

「誰がリアリティーがないと言った!」と総攻撃だ

だって、現実にありえないから・・・てのはリアリティーが無いってことじゃないの?

 

さすがに半数の褒めた人達もこの議論に参戦だ

ここで私は身を引いた

これ以上言えば、恨まれること必定だ

 

後は他の仲間達に譲った

上手いと褒める評価をした人達の反撃開始だ

なんとなく若者対年寄りの対決になった

 

結局お互い相入れず時間切れゴングが鳴ったわけだが

中々面白かった

私の一言が、討論に火をつけたのだから読書会としては大成功だ

 

売れるために書いている作為がミエミエで鼻につくという意見もあった

 

おいおい、売れるために書くことのどこが悪いんだ

そもそも売れそうな小説でなきゃ受賞できないでしょうに

村上春樹など自分は職業作家と自ら言っている

 

文学は金儲けのためにするものじゃない

芸術なんだ

金儲けの道具にするなと、昔はよく叫ぶ御仁がいた

 

しかし最近の若者は正直だ

売れてなんぼのもんだろうに

売れなきゃただの、負け犬の遠吠えだろがと

 

純文学が盛りの頃、伊藤整が「小説の方法」でいみじくも言った言葉ある

純文学を志す日本の作家達を「逃亡奴隷」海外の作家を「仮面紳士」と区分して論評をしている。

 

「社会を放棄して狭い文壇のなかで体験を告白しあった私小説家たちと、社会の一員として生きるために仮構を必要とした西洋の作家たち」

 

純文学は廃れるべきして廃れたのだ。

そこに目を向けず、いたずらに純文学こそ文学の幹だと思う考えを私はもろ手を挙げて賛同はできない

 

勿論純文学も素晴らしい

小説の技法として取り入れる要素はいくらもある

しかし技法であることを忘れてはならない

 

小説の中に自分を埋没させ、小説と同じように作家も沈んでしまえば意味がない。文学は現実の中に潜む人間の共感性を、非現実を使って描くアイテムの一つだ。決して文学が人間そのものであってはならない。

作家が堕落して、その堕落の中に光るものを見出すなんて、それこそ小説の世界の話だと思う。堕落は単に堕落そのものであり、その中に文学的価値などかけらもない。

 

堕落の中であっても己をしっかり見据える目を持っていて、初めて文学になりうるのだ。

そもそも小説を、私小説と一般小説に区分けする思考パターンがおかしい

私小説であれ、一般小説であれ心に残れば名作だ

 

そうそう、彼らはむらさきのスカートの女は後世に残る作品ではないとも評論していた。ついでにこの作品を選出した選考作家たちも、おかしいよなと論じていた

 

私は今村夏子さんが稀有な作家だと思う

素晴らしい作品を書く、後世に残る作家だと思う

 

どちらが正しかは歴史が証明してくれるであろうが

おしむらくは

今日のメンバーさすがに歴史の答えを見るまで生きていることはできないだろう

 

幽霊になって見に来ようと思っている(笑)

 

 

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大阪文学学校では只今、体験入学を行っています

9月17日(火)昼・夜

9月19日(木)昼・夜

9月24日(火)夜

9月27日(金)昼・夜

 

いずれも

昼の部(14時~16時)

夜の部(18時半~20時半)

に開催します。
事前の申し込みがなくても参加できますが

できれば予約の電話かメールをしてあげてください。

(どの日も無料です)

 

(目次)大阪文学学校について知りたいこと全て教えます