fuuraの小部屋

小説や本について寡黙に妄想。小説家になろうのサイトで人気を得る研究。小説家になるにはどうしたらいいかを研究。でも結局は、まずは小説と詩を書こう 。

意味がわかんない

本物とはなんだろう

例えば

本物の音楽

本物の本

本物の絵画

 

贋作ではなく

本人が創作した作品を称し

これは本物だ

これはいまいち

これは駄作だと

 

 

本物の意味が

わからない

 

しかし

考えてみれば

本物がわからないのは当たり前なのかもしれない

 

もともと

本物も(いまいち)も

ぐにゃぐにゃした

不確かなものなんだから

 

そこにただあるもの

それだけなんだから

 

そこで新たな疑問が

・・・

・・・

 

いや、やめておこう

 

また

底なし沼に足を突っ込みそうだから

 

思惟のはざまに

私に

悪魔と

天使が

かわるがわる囁きかける

 

分離せよ

分離せよと

 

意味が

 

 

わかんない

 

 

 

予告された殺人の記録 を読んで

ガルシアマルケスをご存じだろうか。
若い女性なら、ああん、あれねと目を輝かすだ
ろうが、残念ながらブランド名のガルシアマル
ケスではない。

ラテンアメリカノーベル文学賞受賞作家の
ガルシアマルケス・・
そう言ってもピンとこない
有名な『百年の孤独』がさ・・・」と言うと、
多少文学に興味のある人なら思い出すかもしれ
ない。

ラテンアメリカ文学、日本ではまだまだ馴染み
がない。

しかし、こう言ってみればどうだろうか。

かの有名な村上春樹が無意識にでも、意識的にで
も色濃く影響された文学と。
マジックリアリズム〉あるいは〈魔術的リアリ
ズム〉という技法を使った、文学。
当然日本で言う、ファンタジーとは一線を画する。

これこそ、村上作品そのものです。

そのガルシアマルケスが書いた物語。
「予告された殺人の記録」を読んでみた。

なるほど、ラテンアメリカ文学は、面白い。
ただ、日本でいうところの面白いとは少しニュ
アンスが違うが。

「予告された殺人の記録」も、普通の読み方をし
ていれば、あらゆる仕込まれたトリックに気づか
ず、さらっと読み終わってしまう。
結局なんだこの作品、ノーベル文学賞作家もこの
程度か・・と思ってしまうかもしれない。

しかし紳士淑女諸君。
マジックリアリズムの伏線はいたるところにちり
ばめられているのです。

たとえば一文。

「ある朝、女中がカバーを外そうとして枕を振っ
たところ、中にあったピストルが床に落ちて暴発
した。飛び出した弾は部屋の洋服箪笥をぶち壊し、
居間の壁を突き抜けると、戦争を想わせるような
音を立てて隣家の台所を通過してゆき、広場の反
対側の端にある教会の、主祭壇に飾られていた等
身大の聖人像を、石膏の粉にしてしまった。サン
ティアゴ・ナサールは、当時まだほんの子供だっ
たが、その災難から学んだ教訓を、それ以来決し
て忘れなかった」

おわかりだろうか。

あり得るような話で、そのままスラっと読み流し
てしまうが、おいおいそんな弾どこにあるんだ、
と思わず突っ込みたくなりますよね。
いわゆる隠し絵的手法とでも言えばいいんでしょ
うか、文学の中で、ある種の遊びを取り入れ、そ
の遊びを取り入れる事により、本題のあり得なさ
にリアリティーを持たせてしまうのです。

この文面にマルケスは何を言わとしたのでしょう
か。

この隠し絵的な面白さ、勿論これだけではありま
せんが、通常の文学作品とは趣の違った方向性が
あり、これにはまると、ラテンアメリカ文学の虜
になると・・そんな代物なんですが。

そうそう、作品には関係ありませんがマルケス
FBIが24年間も監視していた」というニュースが
数年前、米紙「ワシントン・ポスト」が報じてい
ましたが、本当なんでしょうかね。

で、本に戻りますが。

自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、
司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に
起きた。

書き出しはこれで始まる。
つまりサンティアゴ・ナサールが殺されることは
わかっている。それは読者だけでなく、作中の誰
もが知っているが、知らないのは殺される本人だ
け。

この出だしからして、人を食っている。
しかし紛れもない純粋な文学作品だ。
綿密に構成され、セリフも、登場人物のあれもれも
一つ一つのピースを熟考に熟考を重ね配置されてい
る。
時折「現実ではありえない話を、さもあるように、
さらりと記述し読者を欺くユーモラスを練り上げ、
(もっともこのユーモアは読み手を選びはするが)
とにかく、何の変哲もない、一読すれば普通の小
説の態をようするが、実は宝物が埋め込まれてい
る。

そんな宝物を見つけ、一人ほくそ笑み、マルケス
と喜びを共有する。
ラテンアメリカ人らしい発想ではないか。
何を発現するにせよ、その中にはユーモアを(時
には幻影、魔術になるが)ちりばめ、読者の今あ
る知識層だれにも共有できるように取り繕う精神。

噛めば噛むほど味の出てくる作品。
読み手の感性により思惟の花火の大きさが違う作品

味わってみてはいかがだろうか。

マジックリアリズムの神髄を。

東京喰種 トーキョーグール

映画「東京喰種 トーキョーグール」を見てき
た。

漫画本、東京喰種 トーキョーグールが大好き
で、とうとう映画まで見てしまった。
あの世界観、いいです。
人間というか、生物の根源を見つめなおすには
ぴったりの世界観です。

その世界観に憧れ、小説まで過去書いてしまい
ました。

救世主なのに気づかない乙女達のララバイ
 (旧グール物語(喰種ストーリー)

 


長編です。
途中で世界観に変化が出始め、中途半端に中断中
ですが、世界観が構築出来次第又書こうと思って
いるのですが・・・

 

そうそう、映画の話。

グロくて、あまり女性受けするようなお話ではないの
に映画館は若い女性で一杯。
やはり作者石田スイさんのファンが多いんでしょうか
ね。

映画自体は、物語のさわりの部分だけしか扱っていな
かったので、少し消化不良気味でしたが、やはり続編
意識してるんでしょうかね。

映画の捉え方にもよりますが、テーゼとしては「命の
在り方」を考えさせられます。
人がブタや牛を食べるのは許されるが、人が人を食べ
るのは許されない。

グールは人を食べる事しか生きていけない。
生きるためには人を食べる
そんなグールを人間は駆逐しようとする。
当然だ。

しかしグールにしてみれば不当な扱いだ。
生れてきたことそれ自体が罪だというのか・・・

 

うーん
大好きなんです

こんな命題が(笑)

変化

本の断舎利化を進めていたら

30年前の啓発本がボコボコ出てきた

30年前私も悩んでいたんだと

本をパラパラめくってみたら

ついこのあいだ読んだ新刊の啓発本と

内容がかぶっている

 

今も昔も

結局悩みどころは同じなんだ

悟りかけたと思ったころ

うまい具合に人は死んでいく

 

人の心の核の部分は

今も昔も変わらないってことなんだ

 

文学で歴史に残る書物

つまるところ、幾百年たっても変わらぬ

人の心を描いた作品

 

少しだけ文学の何たるかが

見えてきたが

それはやはり

死に近づいたと言う事か(笑)

 

 

無知は犯罪

小説を書く代わりに読書量が飛躍的に伸びた

読書会やら輪読会やら、その他色々

とにかく好き嫌いでなく読まざるを得ない本を

読んでいくうち不思議な事に気づき始めた

 

つながっているのだ

小説にしろ

啓発本にしろ

学問書にしろ

 

読み進んでいるとバラバラだった思想の点が

まるでパズルのピースがはまり込むように

時々ピタッとはまる事があるのだ

 

これは気分がいい

 

知識が増えたというだけでなく

思想が見えたというか

とにかく目からうろこ感覚

とても快感

 

その昔同期で出世街道駆け上がった友人に

仕事でミスった時に上司の立場として

言われた一言がある

 

知らないことはしかたがない

知ろうとしないことが問題なんだ

無知は犯罪だ

 

その時はムカついたが

その言葉が今突然よみがえって来た

確かにそうかも

遅すぎるが(笑)

 

確かに無知は犯罪だ

 

無知の犯罪は

自分が無知であることを自覚した時から発動される

知らなきゃ知る努力をしろ

 

確かにその通りだ

文学という世界

付き合うグループのタイプが最近大きく変わった

そこで思う事だが

世の中凄い人が多い

て、いうより誰もが凄い一面を持っている

 

仕事での付き合いで出来上がったグループは

いわば勝負のグループ

表向きは平和な顔をしているが内心は

なにくそ、俺の方が上だという敵愾心がどうしてもはいってしまう

よくよく考えれば何が上なのかよくわからないのだが

とにかく負けたくない

 

ところが趣味を媒介にしたグループはそもそも競争心が無い

バックボーンもお互い関係ないから話さない

ところが付き合いが密になると、そのバックボーンがわかり

驚く事しきり

 

仕事の上では知り合うことが絶対できない相手が

気心が知れた後凄い仕事をしている人だと分かり

驚くより感心してしまう。

 

そんな人達には、この既知を利用し仕事に役立てたいとは

チラリとも思わない。

関係性が壊れるのが怖いからだ。

 

社会と言うのは面白い

 

どんな仕事をしていようと

安らぎの場を求めたがる

何の役にも立たない・・

そうわかっていてもそんな場を欲する

役に立たない場だからこそ、余計に焦がれる

 

だからこそ

役に立たない事の本質を探ってみると

案外、人の本質が見えてくる気がする

 

若かりし頃

趣味が金儲けになる

そんな仕事に憧れていたが

案外、これって、最悪なのかもしれない

 

意味はないが、何故かそう思う

そして確信に近い思惑だが

何故かそう思うことこそ

意外に真実なのかも・・・

 

それにしても

人は、なんて、複雑怪奇な生き物なんだろう

結局結論はここに落ち着くから

より埋没したくなる

 

文学という世界に

 

 

 

戦争は当然しない

部屋が本に占領されつつある

このままでは外敵が支援にきそうだ。

 

外敵とは言わずとしれた我嫁

外敵は怖い

超怖い

死ぬくらい怖い

 

だから戦わない

戦えない

戦う前から白旗

だから平和が維持できている

 

本を整理しなさいの声は、一年ぐらい前から聞こえ始めた

それが徐々に徐々に間隔が縮まり

最近は買ってきた本を見るたび

「また買ったの」とニタリ笑う

この笑いが怖いのだ

北朝鮮の核のように

 

近々

自発的に幾百人の本達とは別れなくてはならないだろう

平和維持のため

 

いや

近々ではなく

明日にでも

 

また今、ブックオフから購入した本が

16冊届いた。

タイミングが悪い

嫁じゃなかった、外敵が受け取った。

 

これはさすがに、トドメになりそうだ・・・

 

本を買うのは、面倒くさい、、のかな?

読書会に行ってきた

まあ、いつものごとく

淡々と進み・・・

で、終わってからの自由討論

 

これが案外面白い

そこで時間くい

本屋で本を買わなければいけないので

映画を見る時間がなくなってしまった

 

見たい映画があったのに

 

映画見たあと、ものすごく創作意欲がわくんだもん

映画の良し悪しに関わらず

 

読書会の課題本、読むのはいいのだけど

探すのが大変

結局ネットで購入する事になるのだが

費用が高くついて大変だ

新刊で買うと読書会によるけど

4・5千円する本が課題本になること結構あるし

 

まさか本題にこれだけお金かけるようになるとは

思いもしなかった

まあ、未来への投資だと思えば安いものなのだが

宅配の姉ちゃんに毎週、時には週に二回

配達依頼してたら、顔覚えられ

なんか、気の毒になって

 

やっぱ自分で本屋さんで買えばいいのだが

あの人息と本の量

途中で探す気力がなえちゃって・・

係の女性に頼べばいいのだが

客いっぱいいて、頼みずらいし

 

検索機で本の場所見つけても

その場所から本見つけられないし

 

結局ネットで一冊づつの購入

送料と着払いでの手数料

倍ぐらいの値段になるし

 

まさか

こんな事で悩まされるとは

 

いやあ

何事も経験してみないと

わからないものですよね

 

なんて泣き言みたいに聞こえるでしょ

実は楽しんでるんです

本当は・・・(笑)

悩み

小説をぼちぼち書き始めている

私にしては珍しく悩み始めている

出来上がった作品を読み返すとどうも気に入らない

で、書き直す

また読む

で、気いらない。

また書き直す

 

昔は書くことがストレスの発散だったから書いたものは

校正しない。それで終わりだった。

 

色んな所に顔を出し

色んな知識を得ると

さすがに自分の考えが揺らいでくる

 

いいのだろうか、これでと

 

これが進歩の糧となるなら歓迎だが

書く行為そのものの否定につながるのが

少し怖い

 

良い作品か

ストレス発散の垂れ流し作品か

 

珍しく悩んでいる

暑い 暑い 死にそう

大阪の街をあるいていると

くらくらする

暑い

暑い

とにかく暑い

上着など着ていられない

思わず裸になりたくなる

 

そういえば

街中で裸になった女性がいたよな

 

JR静岡駅前の広場で衣服を脱ぎ、ブラジャーとパンツだけの姿になったとして、静岡中央署は8日、公然わいせつの疑いで、静岡県沼津市に住む無職の女(43)を現行犯逮捕した。「暑かったので服を脱いだ」と供述している。

 

昔ならこんな女性いっぱいいたのに

今じゃ逮捕

つまり法の適用が時世に合わせてかわったってことなのかな?

 

ま・・

わかるよな

こう熱いと・・・

氷の壁

時間の渦がとぐろを巻いて襲ってくる

リミット、リミット

 

時間の渦は暗黒

 

リミット、リミット

 

時間の渦に中心は無い

 

リミット、リミット

 

時間の渦はただ喰らうだけ

 

リミット、リミット

 

時間の渦は容赦ない

 

リミット、リミット

 

そして

老いの大王が我を悟らす

 

さあ、リミットだと

 

一閃

 

時の渦を真っ二つ

 

今少し

今少し

我に与えん

未来への絶壁を

我登りきる自信あり

 

崖に爪を立てた

氷のように冷たい未来の絶壁に

 

ここを登り切れば

ここを登り切れば

あるはずだ

 

そこには

そこには

 

 

なにかが

あるはず・・・

 

受け月 伊集院静著  感想です

名前がいいですよね 伊集院静なんて。
思わず色んな事妄想しちゃいますもんね。
名前だけで。

勿論ペンネーム。
作詞家としての筆名は伊達 歩(だて あゆみ)
やはり伊集院静の方がいいよな。
本名は西山 忠来(にしやま ただき)
韓国籍で、日本に帰化前の氏名は、
チョ・チュンレ

どちらにしても、伊集院静
ホントいいペンネームです。

で・・・
私、唐突ですが夏目雅子さんが大好きでした。
底抜けに明るくまばゆい瞳。まさに青春その
もの、はち切れんばかりの若さオーラをかも
しだしていました。

その夏目雅子さんが愛した男、それが伊集院静
なのです。しかも不倫、略奪愛までして。

だから、私は伊集院静が大嫌いです。
彼の小説は生涯読むまいと心に誓いました。
嫉妬、、ええ、嫉妬です。

人間は嫉妬により大きく成長するとどこぞの哲
学者が吠えていましたが、私は残念なことに、
こじんまりとまとまり、世間に同化し生きてい
ます。
そんなことは、いいのですが、私は嫉妬の権化
となり、伊集院静を嫌いました。伊集院と名の
つくもの、あのタレントの伊集院光さんまで嫌
う有様。

ですから夏目雅子さんが病魔に襲われ、病と闘い
惜しくも夭折した時は、さらに伊集院静を憎みま
した。
お前のせいだ!と。
勿論濡れ衣ですが・・・

その伊集院静が再婚しました。
今度は女優の篠ひろ子と。三度目の結婚です。
いよいよ伊集院静が嫌いになりました。
憎むことが私の夏目雅子さんい対する愛の証とばか
りに。

話はガラリ変わり・・・

会社の女子会で財布係として強制連行された私は
両手ならぬハーレム状態の中で一人寂しく、ウー
ロン茶を飲んでいたらいきなり尋ねられたのです。

「伊集院シズカって良いわよね」と。

社内一の美人の誉高いM女子から。
社内一の美人から、唐突に、良いわよねと尋
ねられ否定できる男がいたら、連れてきてほ
しい。
いるはずがない。
押し並べて、男という生き物は美人には、否、
女の考えには無条件で同意してしまう生物なの
だから。

勿論私も反射的に「うん、良い作家だ」と頷い
てしまった。
夏目雅子の顔を思い浮かべながら
伊集院静だって再婚したじゃないか
俺を恨むなら、まず伊集院静を恨め・・・
など、など。

とにかくその時から、私は伊集院静が好きに
なった。
好きにさせられた。
しかし彼の作品は一作も読んだことが無い。
社内一の美人からいつ聞かれるやもしれない

伊集院静の本、何読んだのかと。
慌てて呼んだのがこの受け月
随分前置きが長くなってしまった。

誓った夏目雅子と、神様には申し訳ないが、男
の信念とは、かくも美人の前では脆いものだと、
諦めてもらい・・・。

受け月は御存じ、伊集院静直木賞を受賞した
作品だ。7作の短編集が集まり一冊の本になっ
ている。

テーマーを野球に絞り、野球に関した短編を
並べている。受け月はその中の最後の一編、
頑固な老監督の引退にまつわる話だ。

受け月とは、「受け月に祈ると皿に水が溜まるよ
うに願いが叶う」という話が有名らしい。

なんともまあ、女性が喜びそうな文言じゃない
ですか。

短編全編に流れるのが男の哀愁。
話に凹凸はなく、ただひたすら人生の無情、男の
頑固さの哀愁を淡々と語っている。
言い方を変えれば退屈。

なるほど、これが伊集院静の世界か。
男のロマン
頑なに守るべき信念、その信念の為には人生
そのものが破滅しても潔しとする
男じゃん。

野球に固執した男達の人生の哀愁を9編にそれ
ぞれ盛り込み、頑なゆえに不器用な男の世界を
しつこくではなく、あまりにあっさり、淡々と
書き綴っている。
そのあっさり感があまりに手際よく、それが
この作家の持ち味かも。

主題が見えにくいのは、人生の一コマを切れ味よく
切り取り、その断片を伊集院静という作家の生き様に
盛り付け、さあ食べろといわんばかりの力技。
そう、力沢なのだ。
力技故に隠し方が時折ちらつく。

裏読みすれば鼻につく。
素直に読めば退屈。
しかし、心に霧がかかっていれば、その霧を晴ら
すのでなく、色を付けてくれる。
そう、伊集院静の作品は、無常という人生の究極
の諦観に、色を付けようとしているのだ。

作家の視点ではない。
プロデューサーの視点だ。

力技を底辺に隠しつつ、あまりに淡々と語るその悲哀
感が、よけいに(ある一部の読者)の感性をくすぐる
のだろう。

なるほど、これでは夏目雅子も、篠ひろ子も惚れる
はずだ。

男のダンディズムを淡々と、強制もせず、ただひたす
ら書き綴る。
俺の背中を見ろ、嫌なら来るな、選ぶのはお前だ
お前が好きにすればいい、俺は俺の人生を、好き勝手
に生きさせてもらう。
俺に近づくな
俺に近づけば・・
タダではすまないぞ・・・


ちくしょう
恰好良すぎる
女が惚れるはずだ
くそーー
超うらやましいじゃん・・

新鮮な退化

長い間使ってない棚の中から、まだ若かりし頃使っていたノートやら

原稿用紙が出てきた。

仕事しながら小説の構想をねっていたのだろう

その後仕事が多忙になりそんな事ができる状態でなくなり

止めて文字通りお蔵入り。

 

驚いたことがある

字が上手いのだ。

最初誰が書いたかわからなかった

今の私ん字とは雲泥の差

とてもうまい

 

そういえばあの頃、書き仕事がメインだったから

毎日毎日字を書いていた。

皆からも上手いと言われていたことも思い出した

それが今はどうだ

殆どがキーボード打ち

自筆で書くことなんかほとんどない

 

スマホとパソコン

まさに書かなくなった

そりゃ字も下手になるはずだ

 

それにしてもうまい

まるでペン字講習に行った人みたいに

読みやすくしかも小さい

 

光陰矢の如し

変われば変わるものだ

今は人様に恥ずかしくて自筆など表にだせない(笑)

 

それと

若かりし頃書いた小説群

これまた、そこそこうまい

今の方が無茶苦茶下手だ。

 

三島由紀夫に傾倒していたせいか

文章の流れが三島調だ

それにしても、自分が書いた作品とは

信じがたい作品群だ

 

読んでて楽しいから笑ってしまう

 

人って・・・

退化するんだ・・・・(汗)

小説家からのアドバイス

作家の辻仁成さんがブログで助言してくれてます。

「小説家になりたい人への三つの助言」

を。

抜粋してみました

(略)

もし、あなたが小説家になりたいのであれば、
たいへん、差し出がましいようですが、三つの
助言があります。

その1
まずは周囲の意見を(これも含め)気にせず、
どんどん書いてください。
小説は誰かに習うものじゃない。読んで学ぶ
ものです。いい本を朝から晩まで読んでいれ
ば文学がわかるようになるし、一日中、人一倍、
書いていればだれでも文章はうまくなります。

小説学校がダメとはいいませんが、型にはまる
恐れあり。あなたにしか書けないテーマはあな
たにしかわからない。
鬼のように書き続け、名のある新人賞に送り続
けてください。自分の腕試しと、編集者探しに
新人賞が最適なだけですが。新人賞をとったら、
編集者にくらいついて、書き続けてください。


その2
信頼できる優秀な編集者を一人つかまえてくだ
さい。
ここからは信頼した編集者の助言に耳を傾けて
ください。その人が「よくない」と指摘した箇
所は悩んででも直してみましょう。我を押し通
すことも大事ですけど、大家が成長しないのは、
編集者の発言を受け付けなくなるからです。
作家以前は周囲に囚われずひたすら書き続け、
作家以降は編集者の助言にちょっと耳を傾け書
き続けましょう。


その3
一冊や二冊は誰でも書けるので、うぬぼれな
いでください。
本当の評価は生きている間には出ないと思って
書いてください。がむしゃらにやみくもに書き
続けてください。
死ぬまで過去作を懐かしがったり、安易に振り
返らないでください。仮に死んでも、次の一行
を書くのだ、と思い続けてください。

以上です。

人生は後始末「小説家になりたい人への三つの助言」
今日の後始末。

「キーボードの文字盤が消えるまで書け」


だそうです。

もう一度言います。
だそうです。

「キーボードの文字盤が消えるまで書け」

この言葉いいですよね。
仕事で使ってるパソコンのキーボードの文字盤
字消えてるもん。
毎日、365日誰かが使ってるパソコンのキーボード


文字盤消えるまで書くなんて

ま、いいか

目標ができて(笑)


ちなみに記事元は ここです。



吾輩は猫であるを・・もう一度しかたなしに読んだ感想

トリストラム・シャンディという小説をご存じだろうか。
18世紀イギリスの小説家ローレンス・スターンが書いた
小説だ。内容は荒唐無稽、奇抜、一貫したストーリは無く
「意識の流れ」の手法を先取りしたと言われている作品だ。

人間の知識は静的な部分の配列によって成り立つものでは
なく、動的なイメージや観念が流れるように連なったもの
であるとする考え方だ。

日本の作家では川端康成が「針と硝子と霧」「水晶幻想」に
おいて実験的に用いているが成功しているとはいいがたい。

実は漱石、ローレンス・スターンに傾倒していたのだ。
先輩や仲間から、小説を書け、書けと勧められ、やむなく
書いたのが吾輩は猫であるなのだが、もともと最初の一編
でやめるつもりだった。
書いた時はうつ状態だったし。

ところが、ローレンスに傾倒していた漱石の作品は最初の
掴み、猫を主人公にするという、多少ローレンスを意識した
作風を冗談のつもりで書けば、これが受けて、挙句書くの
をやめるにやめられなくなったのは御存じのとおり。

うだうだと訳の分からぬことを延々、しつこく語り読者を
煙に巻くローレンス流作風が漱石に合うはずがない。
最初は自分の見解を猫の目を通し、説教調、あるいは講談風
あるいは美文調と、わざと辻褄があわぬよう、合わぬよう
書き上げていくが、根っからの真面目人間、さすがに辛くな
ってきたのだろう、並行して他の作品も手掛けるようになっ
てきた。

漱石の文学を志すという意味で書かれた作品は吾輩は猫である
以降に書いた作品なのだが、どうしても処女作吾輩は猫である
漱石の代表作と言われるのを聞けば、草葉の陰で漱石、苦笑
しているのではないだろうか。

日頃の考えを無茶苦茶適当に書いただけの作品なのにと。

夏目漱石は博学だ。
天才的な頭脳の持ち主と言われる。
記憶力も抜群だと。

その、漱石の根底に流れるのは個人主義
あるいは男女の個人主義

時代はとにもかくにも男尊女卑の時代。
しかし合理主義の漱石には納得がいかない。
納得はいかないが、幼いころより叩き込まれた男尊女卑
の概念はそうたやすく消えるものではない。

男と女の平等とは何か。
本当に平等なのか。
平等でやっていけるのか。
女が絡めば男同士の平等は崩れる。
この摩訶不思議な心理はなんなんだ。

マクロの個人主義、平等主義についての思想については夏目漱
石の右に出るものはいなかっただろう。
その博識は他を圧倒させる知識量だ。
漱石個人主義を論破できるものなどいなかったのだが、唯一
いたのが、皮肉なことに漱石自身。

実生活ではこの個人主義に沈没。
特に恋愛面において。

マクロの個人主義は吠えればいい。
しかしミクロでの個人主義、いわゆる具体的な生活レベルでの
個人主義漱石は表にこそ出さないが心の中で葛藤していた。
現実にそぐわないじゃないか・・
個人主義はミクロに近づけば近づくほど破綻する。
特に女性相手では。

女は魔訶不思議なもの。
男より劣る生き物ではないが、しかしその本体はベールに包
まれ謎だらけ。

漱石の作品は、吾輩は猫であるを除けば、まさに男女間の
平等を題材に、個人主義の底辺に潜む闇をあぶりだそうと
する作品が多い。
平たく書けば三角関係、そして不倫。

漱石自身の女性関係は淡白なものだ。
弟子たち、嫁の証言からも、妻一筋の男だったそうな。

三角関係のドロドロを、漱石は実体験無しに書いていたの
だろうか。否それはない。
若き頃の失恋で、漱石は恋愛に対し、否、女性に対しすっか
り臆病になってしまったのが因とする説もあるが、今回は
吾輩は猫であるの書評、この件は置いておくことにしよう。

さて吾輩は猫であるの書評に戻ろう。
この小説、先にも書いたように、漱石が書こうとしてイメー
ジした小説ではない。
とりあえず、まあ書いてみようかと書いた作品だ。
いわば、少し(おちゃらけ)て書かれている。

面白いことにこの小説、猫に名前を付けていない。
わざわざ最初に、断り書きまでつけて、吾輩は猫である
名前はまだないと・・宣言している。

名前を付けなかった理由については、色々論評されているが
つまるところ、名前を付ければ読み手に猫のイメージがつい
てしまうからと言われている。
吾輩という尊大な表現に続く猫という(畜生)のイメージを
読者自身に感じてもらうためにこの名無し猫は成功したとも
言われている。

私が思うに漱石が猫に名前を付けなかったのは、猫の概念を
個人主義の総体として漠然と意識し、わからなかったからと
思う。
ある種恐怖の総体でもあったのではないのだろうか。
わからない物に対する恐怖。
この総体を猫に押し込め、漱石自身が猫に問いかけているのだ。

何なんだ、この世の中は
何なんだこの不条理は

最後に猫を殺してしまうのも漱石らしい。
書くのが嫌になったから猫を殺したとうそぶいたそうだが
そうではないだろう。
何かが吹っ切れたのではないだろうか。

気ままな猫は自由だ。その自由な猫に窮屈極まりない名前など
そもそもつけること自体おかしい、意識無意識を別にし、漱石
感覚としてそう閃いたのではないだろうか。
もしそうだとすると、一つ頷けることがある。

嫁にも名前がないのだ。
ただ細君としてしかでてこない。
他の登場人物には名をつけているが、猫と細君には名をつけて
いない。

作品中何度も出てくるし、決して脇役ではない。
重要な登場人物だ。
この細君に名をつけなかった理由・・・

案外この辺に夏目漱石の(病んで暗い部分が)推察できるのだが
残念なことにその部分にメスを入れた評論家はまだいない。

漱石は作中の人物の名にはこだわったと聞く。
ならば処女作とはいえ、なぜ細君にだけ名をつけなかったのか
くだらないと思われるかもしれないが、私にはここにこそ夏目漱石
研究課題が残っているのではと・・・まあ

アイスなど食べながら思うのだが。
吾輩は猫である、とにかく読むにしんどい作品だ。


何度も言うが、漱石さん、これ書いた時、読み手に理解できな
い小説こそ素晴らしい作品だと思ってた節がありますから、あ
まり裏の裏を読み過ぎると、漱石さんの罠に落ちる気がするん
ですが。

読むにしんどい作品
これに尽きますよ
吾輩は猫であるは・・・。